今日は、歯医者に行くために処方してもらった精神安定剤の
効果で、ホワホワしてしまっていたせいか、母に電話をして
しまった。
いくら親し気に、普通に話しているつもりでも、母とこうして
密に連絡を取り合ってしまうなら、いつも心のどこかで、
何かをするにしても、こんなことをしたら母が許さないだろう
というような気持ちが消えないのだと思う。
そして会話の中でも、端々でどこか、「こうしたほうがいい」
というようなお節介的アドバイスが入ってきている気がする。
知らず知らずのうちに誘導されているような感じ。
私がAV女優になりたい、風俗で働きたい、いや渡米して
歌手になりたい、地方で自給自足をして暮らしたい、と仮に、
思っていたとしても、こうして母のためのいい子として
生きている限り、自分のやりたいことをやりたいようには
やれない。
上に挙げたような突飛なものでなくとも、小さな冒険や
些細な決断を頭のどこかで否定され、やめてしまう。
自分の人生を生きることができない。
そもそもだけれども精神的虐待を受けて育ちながら虐待の張本人の
母と友達のように接していることがやはり、他人から見れば
異常であるだろうし、自分では許せているつもりでも、
こんなに自分を歪めた人間の全てを受け入れて愛することは不可能だろう。
なのに自分の恐怖や憎悪を隠して笑顔を見せている、
悲しいピエロのような生き方。
これほど頭で分かっていてもどうしてか自由になれない、
見えない首輪の付いた鳥。
そんな自分です。少しずつでも抗い、改めていきたい。